※ララフェル族ヒカセン。固定名なし。男女区別なし。
※水晶公の正体バレ注意。
温故知新という言葉が物語るように、古きものから着想を得ることは数多くある。かく言う自分も、アラグ文明という数世紀も昔の知識を拠り所にしているため、先人の知見から未来への見通しを立てようと過去の文献を漁る機会が多分にある。クリスタルタワーの中に収められた書物のみならず、今やノルヴランドの書の宝庫と言っても過言ではない博物陳列館に知恵を求めることも少なくない。出不精を皆に揶揄される身の上にしては、足を運ぶ機会の多い場所だ。
その日も周辺地域――特にユールモアだ――と渡り合うための筋道を求め、足を向けた自分を、煉瓦づくりの壁に設えられた巨大な扉が出迎えてくれた。黄金色の板金で意匠が施されたそれを潜り中へ入ると、見知った姿が目に入り、おやと眉を上げた。視線の先、脚立に乗って「うーん」と背伸びをしているその人は、光の戦士――いや、闇の戦士殿だった。大きな手が、もどかしそうに一冊の本の背を掻いている。
目当ての本を書棚で見つけたものの、どうやら取り出すことができないらしい。
本の表紙と背表紙を掴んで取り出せれば良いのだが、光の氾濫のあと、貴重になってしまった書物でも、ひとところに収集すれば相当な数になる。しかも限られたスペースに納めているため、書棚ぴったりに本が並び、指すら入る余裕が無い箇所も少なくなかった。
ならば、本の背に指をかけて引っ張り出すという選択肢もあるが――どんな困難を前にしても、その手に勝利を掴んできた我らが英雄でも届かないものがあるらしい。失礼は承知の上であったが、その容姿もあいまって、書棚の前で背伸びをするさまは、幼き頃のライナの姿と重なり、我知らず口元がほころぶ。
「やあ。調べものかな」
声をかけるとハッとしたようにこちらを振り向き、私の姿をみとめて表情を和らげる。その様子に少しの面映ゆさを覚えながらも、顔には出さずに言葉を続ける。
「あなたにも一人では手にできぬものがあると見えたのだが、助けは必要だろうか?」
「うん。いつものようにお願いするよ」
軽口を含んだこちらの申し出に笑いながら、この本が取りたいんだと指差す。
「承知した。それでは、ちょっと失礼……」
在りし日の思い出が蘇ったからか、目当ての本を見上げている英雄の脇の下へ手を添えて、ぐっと力を込めた。まるで、幼子にするように。
英雄もこちらの意図を察したのか大人しくその身を委ねてくれるようだ。そのことに、また嬉しさを覚えながら、その身体を持ち上げようとして――
「ウッ……!?」
ずしり、と、己の両腕に思いがけない重みが圧しかかり、思わずうめき声が漏れてしまった。反射的に「重い」と口にしそうになって、慌てて唇を結ぶ。人によっては侮辱になりかねない言葉を、いくら気心の知れた仲とは言え、軽々に口にしてはならない。
「……水晶公?」
少しのあいだ固まってしまった自分を心配するように、肩越しから視線が寄越される。いけない。頼りない老人だと思われては、また気を遣わせてしまう。
「い、いや何でもない。少しばかり、想定外のことが起きただけで……」
そう口ごもる自分に、状況を察した英雄は苦笑を浮かべた。
「あー……えっと、重かった……とか?」
「な!? そんな訳があるものか!」
思いがけず大きな声が出てしまい、英雄の大きな目が更に大きく見開かれた。だが、驚きの表情を浮かべている英雄より、年甲斐もなくムキになってしまった自分のほうが驚いている自覚があった。一瞬の空白ののち、恐る恐る周りの様子を伺うと、その場に居合わせた皆が「しーっ」と天辺に向かって立てた人差し指を口元に当てている。
ごほん、と咳払いをして、改めてその人に向き直る。
当たり前だ。この人が、その見た目から想像するより何倍もがっしりしているなんて。剣や槍などの長物、弓や銃などの遠距離武器、さらには呪具幻具魔道書に至るまで――様々な武具を身に着け、戦いに赴いているのだから。
この小さな体から迸る頼もしさは、積み重ねた経験が与える精神的な安心感だけでなく、生物としてシンプルな“肉体の強さ”から来るものに他ならなかった。だからこそ、この人は色んな人から頼られ、想いを託され、希望も絶望もその身に受けながら進み続けてしまう。
なればこそ、この身体を支えられずして、己がいる意味はなんなのだろうか。
「いいや、やる。やるぞ、オレは……!」
待て、と目の前から静止の声がかかった気がしたけれど、止まらなかった。
もう一度、ぐっと腕に力を込めて――――。
*****
「ぐっ……ぅ」
ぺちん、と、今しがた湿布を貼られたばかりの腰を叩かれて呻いた。手当てをしたいのか、怪我を悪化させたいのか――救急箱を小脇に抱えたライナが、今にも溜息を吐きそうな顔でベッドに寝かせられた自分を見下ろしている。
「まったく。ご自分でも見た目ほど若くないと常々口にしているのに、どうしてこんな無理をしたのやら」
「いや……ははは、面目ない」
自業自得のため、反論すら浮かばない。あの人の力になりたかったのだと口にしたところで、別の手段を取って下さいと怒られそうなので黙っておく。スパジャイリクス医療館のベッドの上で、腰を痛めて治療を受けたばかりか、孫娘から小言を聞かされてる姿を皆に見られては、“水晶公”の沽券に関わるだろう。
これ以上、理由の追及をしたところで自分が語ることはないと早々に判断したライナは今度こそ溜息を吐いた。
「それでは、私は哨戒任務がありますので……あら」
来訪者に気づき、戸口を見やったライナと軽く挨拶を交わす声は、あの人のものだった。情けない姿を見せるのは不本意だったが、これも自分が蒔いた種。甘んじて受けるしかない。これから任務だというライナは、公に無理をしないように英雄殿からも言ってやって下さいと間接的な釘を刺して辞して行った。
ライナを見送った英雄の目が、こちらを向く。気遣うような、申し訳なさそうな――軽く下げた眉の下にある目から、柔らかな視線が労わるように送られているものの、何を言われるのかと心中で身構えている子供じみた自分に気づいて、少し可笑しく思う。この人の前では、度々少年のような心持ちになってしまって、困る。
「すまない。あなたにこんな姿を見せてしまうとは」
「いや。大事が無くて良かった」
その人は、恐縮する自分の脇に立ち、真っすぐにこちらを見て言った。
「大丈夫だよ。水晶公」
その言葉に一瞬虚を突かれ、そして笑みがこぼれた。
――本当に、この英雄殿には叶わない。
それは、およそ怪我人に言う言葉ではなく。こちらの思惑なんて見通した上での言葉だった。医療館のベッドの上で、なんて本当に格好つかない状況だったけれど。
「……ああ。ありがとう」
今は素直に感謝の言葉を述べて、格好をつけるのは次の機会に取っておこうと、誓いを胸に仕舞った。(了)