※FF14自機のおはなしのため名前や種族が固定されています。
※架空の冒険者が登場します。
ぎゅる、ぐうぅぅ……。
盛大に腹の虫が鳴き声を上げて、ナナは自身の腹部にそっと手を当てて眉を下げた。
(お腹、空いたなあ……)
身体が訴える空腹は、素直に思考につながった。生い茂る草木の隙間から覗く青空を見上げて、胸の内で呟くナナの視線の先には、浮遊する遺跡群が見えている。
外地ラノシアのニーム浮遊遺跡。第五星歴の時代に栄えた、古代都市の痕跡だ。白い石造りの建造物は今は苔むして、かつての隆盛を僅かに伝えるのみとなっている。しかし、地脈のエーテルバランスが崩れた結果、遺跡の一部が浮いてしまい、古代都市の面影を幻想的な姿に見せていた。
先ほど鳴り響いた音は、そんな歴史ある情景にはおよそ似つかわしくない音だったが、ナナは周囲に人気が無いのをいいことに、腹の虫をなだめる素振りも見せず、ぼんやりと空を仰ぎ見ていた。家を出る時に、念のためと護身用に持ち出した樫の木の棒を、手持ち無沙汰にくるくると手の中で弄ぶ。
これで空腹が紛れてくれれば御の字なのだが――
ぎゅう……ぐるるる……。
何度目とも知れぬ訴えに、ナナの口からとうとう溜め息が漏れた。変な遠慮を利かせて、両親が出してくれた料理を辞してしまったことを後悔して。
三大州の一つ、アルデナード小大陸の西海に浮かぶバイルブランド島。国政の中心たる海都リムサ・ロミンサから遠く離れた場所にひっそりと築かれたララフェル族の集落。それが彼女の故郷だった。
祖父母が語るところによると、自分たちの祖先はかつて存在した海洋都市「ニーム」の建国に携わり、その名残でここに住んでいるらしいが――千年以上前の話をされても、いまいちピンとこないなとナナは思っていた。そんなことよりも、目下彼女の頭を占め、思い悩ませているのは、先の腹の虫に関わることだ。
良く食べる。たくさん食べる。食べてしまう――それが、箸が転んでもおかしい年頃の娘の悩みだった。
集落が辺境の地に位置しているということもあり、自給自足を主として生活している村には「節制」といった風潮がそこはかとなくあった。もちろん、時節の宴や祝い事がある場合はこの限りでは無い。しかし、基本的には慎ましく生きることを心がけて、日々の暮らしを営んでいる、そんな村だった。
その中で一人、食欲旺盛である自分に最近のナナは嫌気が差していた。幼い頃は、両親が出してくれるままに暢気に食事をしていたが、この年齢になってまで厚顔無恥でいられる程、彼女の神経は図太くなかった。
さらに彼女の食欲に拍車をかけているのが、現在彼女が村で任されている生業にある。ララフェル族男性の平均身長が35イルムといった中で、彼女の身長は女性ながら38イルムほどあり、村の誰より体格が優れていた。その為、昔から力が強く、持ち前の運動神経の良さも買われて、村の人間が集落の外に出る際の護衛に抜擢されることとなった。
護衛と言っても、誰かに師事して指南を受けた訳ではないので、見よう見まねではあったが。それでも、野生のクァールや、最近勢力を増しているコボルド族に出会す可能性がある中を、丸腰の人間一人で歩かせるよりは安全だという村の判断によるものだった。
曲がりなりにも人の命を預けられる形になり、責任重大とばかりに独学ながら畑仕事を手伝う合間に修行に励んだ。すると、たくさん身体を動かす、お腹が空く、たくさん食べてしまう――という、ナナにとっては最悪の循環が形成されていった。
先刻も、護衛の任を終えて帰宅した彼女に、両親が労うようにたくさんの料理を出してくれたのだが、半分ほど食べて、もう十分と言って食事を辞して来たのだった。正直に言えば、まだまだ食べたい気持ちではあったが……空腹を誤魔化すために、散歩と称して家を出て来て今に至る。
はああ、と再び溜め息が漏れ出そうになった時、彼女の背後に広がる木々ががさがさと音を立てて揺れた。突然の物音に、今までナナの周囲で思い思いに過ごしていたリングテイルたちが、脱兎の如く一斉に逃げ出す。ナナも直ぐさま立ち上がり、手にしていた棒を強く握り締めて、音がした方向へ緊張の視線を走らせた。
クァールか、コボルド族か。それとも付近を徘徊するゴーレムか。
いくら村で護衛の仕事を任されているとは言え、所詮は素人。今のナナにこれらを撃退するだけの力は無い。あくまで不意を突いて、逃げる機会を作るだけだ。
草木を揺らす音は、次第にこちらへ近づいてくる。
警戒は緩めず、キッと茂みの奥を睨みつけながらも、珍しいな、とナナは頭の片隅で思った。ここは、大人しいリングテイルが群れで過ごすほど外敵が来ない場所なのだ。だからこそ、空腹をやり過ごす場に選んだのだが――。
思いがけない闖入者が下生えを踏み荒らしているのか、少し草の匂いが強くなった気がした。来る、と直感し、ナナはさっと退路に視線を向けて逃げる算段を思い描いた。
がさがさがさ……! 一層勢いを増して茂みが揺れ、次いでバッと飛び出して何かにナナは思い切り棒を振り下ろした。
「やあああああ――っ!!」
「あ痛いっ!?」
悲鳴が上がり、ハッとしてナナは後ろへ飛び退った。
(人!?)
目の前には、軽装のルガディン族の男性が、ナナに打ち据えられた左腕をさすりながら、厳つい顔に優しげな苦笑を浮かべて彼女を見ていた。
「いやあ、すまんすまん。びっくりさせてしまったみたいだな」
暴力を働かれたのは己のほうだと言うのに少しも怒りもせず、ハッハッハッと鷹揚に笑って、すっかり茂みの中から姿を現す。
「あ……す、すみません。てっきりクァールか何かだと思って」
闖入者の正体に、ぽかんと呆気に取られていたナナだったが、過失とは言え自分が失礼を働いてしまったことを思い出して、慌てて謝罪の言葉を口にした。ぺこり、と頭を下げる彼女に、男性はお互い様さと言いつつ、服についた葉っぱや小枝を払うのもそこそこに、不意に辺りを見回し始めた。
「ところでお嬢さん、知っていたら教えて欲しい。この辺りに傷に良く効く秘湯があると聞いて来たんだが」
「近くの温泉と言ったら、隠者の庵のことかしら? ここの坂を少し下った先にありますよ」
「おお! ブロンズレイクで聞いた話は本当だったか」
「ブロンズレイクから、わざわざここまで来たんですか? その軽装で!?」
ナナが首の角度めいっぱいに見上げるその男は、彼女からすれば岩かと見紛うほどに大きく秀でた体つきをしていたが、近くに黒渦団のキャンプ地があるとは言え、外地ラノシアを十分な準備も無いままに歩き回るのは無謀に過ぎる行為だ。
驚愕する彼女に、ああ、と、溜め息にも似た声を漏らした後、どこか恥じるような表情を浮かべながら、頭の後ろをぽりぽりと掻き、男は言った。
「隣だし、何とかなると思って」
「ええぇ……」
なんという理由。確かにブロンズレイクがある高地ラノシアと外地ラノシアは隣接している地域ではあるが……そんなんで良く今まで生きて来れたものだと、驚きを通り越してナナは呆れるしかなかった。かく言う本人も、自分の無謀さに自覚はあったのか、ナナが向ける視線を払うように首を振って、今まさに思い出したとばかりにポンと手を叩いて言う。
「それにしても、先程のお前さんの一撃、なかなかに見所があるものだったぞ」
「え、あ……ありがとうございます?」
「言っておくが、世辞ではないぞ! お前さん、冒険者か何かか?」
「いえ、農業の合間に、護衛まがいのことをしているだけの素人です」
「ふうむ……ちゃんとした人物に師事すれば、秀でた人材になりそうなんだがなあ……」
勿体なさそうに呟く男に、ナナは訊いた。
「あなたは冒険者、なんですか?」
何とかなりそう、という理由だけで、隣家を訪ねるような気軽さで安全とは言えない場所を往来しようとする人物なのだ。疑問の形を取ってはいたが、そんな無鉄砲な行いをするのは冒険者くらいだろうと、若干の偏見もありつつ、ほとんど確信を持ってナナは訊ねていた。
予想通り、男はこくりと頷く。
「ああ、今はちょっと休業中なんだが、冒険者だ」
「もしかして、怪我が原因で?」
「そうなのさ。旅の途中で、少しドジっちまってなあ」
「すみません……私のせいで、怪我増やしちゃって……」
恐縮するナナに男は豪快に笑って、励ますように彼女の背をポンと叩いて言った。
「ハハッ、こんなの怪我のうちに入らんさ。ロランベリーが降って来たのかと思ったくらいだ」
「ロランベリー?」
それは、自分の頭髪が赤みを帯びているからだろうか。疑問符と共に、瑞々しく熟れた赤い実がナナの頭に浮かぶ。その瞬間――
きゅ、くるるるる……。
緊張が解けたからか、ナナの腹の虫がまたもや己の存在を主張し出した。
「ッ!?」
先ほどは自分以外に誰もいなかったからこそ腹の虫が鳴くままにさせていたのだが、今は隣に他人がいる。ナナは恥じらいを思い出したかのように身を縮めて、自分のお腹を抑え込んだ。
「なんだ、腹が減っているのか」
「お、お構いなく……」
にへら、と気まずそうに薄く笑みを浮かべる彼女の前で、男は腰に提げた革袋から包みを取り出し、太い指でそれを慎重に開いて、ナナの目の前に差し出した。
「そら、これを食え」
包みの中には、丸薬のような黒い粒が複数入っていた。
薬……? と訝しみながらも、目の前の相手からの親切心を無碍にすることも出来ず、ナナは恐る恐るその黒い粒を指でつまみ、えいやっと口に含んだ。体温で粒が溶けていくのと同時に、舌の上に砂糖の甘さと少しのほろ苦さが広がる。
「なにこれ! 美味しい!」
それは後に、バブルチョコというものだとナナは知るのだが、護衛の任以外で村の外に出たことが無い今の彼女には知る由も無い。
「気に入ったか。なら、全部お前さんにやるよ。秘湯の場所を教えてくれた礼だ」
「えっ、あ、ありがとうございます」
「冒険者になれば、もっと美味いモンが食えるぞお」
男は笑いながらヒラヒラと手を振ると、先ほどナナが示した坂をのんびりと下って行った。
男の後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、ナナは、あっと小さく声を上げた。
「名前、聞きそびれちゃった……」
村への帰り道を辿りながら、ナナは天啓を得たような心持ちだった。
――冒険者になろう。
今までその存在は知っていたが、自分がなってみようとは考えもしなかった。否、彼女が意識せずとも心のどこかでは、その選択肢について思い至っていたのかもしれない。今日出会った、あのルガディン族の冒険者との交流が、踏みとどまっていた彼女の背を押したのだ。
まだまだ分からないことばかりで先の見通しも立っていないことは承知の上で、それでも、若人ながらの冒険心がナナの心に微塵の不安も起こさせはしなかった。冒険者になれば、自分でお金を得て、食事も賄える。住むところは追々考えればいい。ララフェル族は小さいから、茂みの中だって雨露をしのぐ家に出来る。
晴れやかな気持ちで、彼女は家路を急ぐ。その手に、バブルチョコが入った包みを大事そうに押し抱きながら。
これが、後に「光の戦士」と呼ばれる冒険者の旅立ちの始まりだった。
第六星歴から第七星歴へと時代が変わる、少し前の出来事である。
(了)