暗中にて結実する花ありて

「――投影トレース開始オン――」
 スペルを口にすると、ガキン、と撃鉄を下ろす音が脳内に響いた。
 神経は表裏を替え、人としての身体が神秘を行使する部品と成る。
 周囲から吸い上げたマナと、己の身の裡で生成するオド。それらを魔力に変換し、発現させた魔術回路に奔らせる。
 流し込まれた魔力に励起され、魔術回路を走査するように光が走る。
 基板の配線にも似たラインが、燐光をまといながら腕に刻まれ、現実を侵食しながら架空要素をイメージするカタチへと変化させていく。
 思い浮かべるのは、いつも一つ。
 剣――それも、いま自分が最高に美しいと感じ、想い焦がれて止まないもの。
 ともすれば、脳裏にちらつきそうになる赤を、いまは余分と意識の外に追い払って、自分の中にある最高の一振りを世界に認めさせる。
「――っ、」
 慣れた痛みが体内に生まれた。その痛みに引き起こされた熱を、身体が孕む。
 神秘が現実を喰い、具現化したイメージを生み出す。
 手の中に柄の感触。
 次いで、刀身の重みが腕に伝わった。
 滑らかな曲線に、採光窓から射し込む月明かりが寄り添い、白い刃が視界を切るような光を放つ。
 莫耶。伝説の宝剣、二対一振りの夫婦剣の、その一方の名を冠する剣。
 手の中のそれは、自分が思い描いた形そのままに、姿を顕していた。
 自分が目指すもの。その概念を表すもの。
 投影が成功したという手応えと、純粋に綺麗だと思う気持ち。しかし、それと同じ強さで、これではない、という想いが胸中に湧く。
 その相反するものが己の裡で拮抗し――けれど結局、微かでも疑われた神秘は世界の修正力に勝てなくなって、白い刃は風に吹き飛ばされる砂塵のような脆さで、闇に溶けていった。
「ああ、くそ」
 聖杯戦争の前に比べれば、いま自分が行った魔術の結果は、見違えるような成果だ。それまでは、魔術回路の形成にさえ苦労していたのに、遠坂をはじめとした、聖杯戦争で出会った人たちの助けがあってこその投影魔術。
 なにより、俺には、お手本とするにはズルと思われても仕方がないほどの人物がいる。でも――。
「投影はできる。想いの強さだって、アイツに負けない自負がある。でも、やっぱり、刀を生み出す意味への意識ばかりは、どうにもならないよなあ」
 人を傷つける道具を作るということは、そうする・・・・という覚悟があってのこと。
 それは、たとえ俺がいまのように、修行の一環として刀を投影するときにも意識しておかなければならない事柄だと思う。
 剣を生み出すことに特化した魔術師として、剣を生み出す是非を自分へ問い続ける。
 ただ、どうしても、その覚悟重みは、アーチャーの足下にも及ばない。抑止力の代行者でもある彼と、自分とを比べるのは端から間違っていると言われても、致し方ないと、考えることを諦めたくはなかった。
 考え続けること。問い続けること。それは、いまを生きる衛宮士郎に与えられた義務であり、特権でもある。しかし、どうしたって、自分への焦りを禁じ得ない夜もあった。
「……はあ」
 身体の中にわだかまっていた熱を吐くように、溜め息をつく。発現していた魔術回路は身の裡に沈み、集中力が途切れた自覚もあった。
 今日はこれまでかと、座っていたブルーシートの上に仰向けに倒れる。
 長い夜に、いまだ冷めぬ熱を胸の中で持て余しながら、意識は徐々に、眠りへと落ちていった。

 頭の天辺をコンと固いもので小突かれた。
「――――、――ろ」
 夢とうつつのあわいで揺蕩う意識が、遠く、誰かの声を耳に拾う。
 むずがるように眉間に皺を寄せると、はあ、と深い溜め息が降ってきた。苛立ちを滲ませたそれに覚えのある気配を感じ取り、頭が一気に覚醒する。
 うっすらと開けた目に、眉をひそめて目つきを鋭くするアーチャーの顔が映る。
 剣呑とした空気を当てられての目覚めとは、今日は幸先が悪いぞ、と胸中で愚痴を漏らすと、その愚痴に抗議を申し立てるように、がさがさとビニール袋が擦れるみたいな音が鳴った。
 なんの音だ? と不思議に思った瞬間、
「――――ゴフッ!?」
 突如として腹に走る衝撃。
 状況が上手く飲み込めないまま反射的に飛び起きようとしたが、衝撃をもたらしたきり腹の上に居座っているなにかが、そんな俺の動きを阻んだ。
「な、なんだぁ……?」
 頭だけを持ち上げて、その正体を見る。
 見えたのは、白いビニール袋。買い出しに行って来て、荷物をそのまま寝ている人間の腹に落としました、みたいな状態だ。聞こえてきた擦過音は、まさしくビニール袋そのものの音だったということは分かった。
 でも、なにゆえ俺の腹に、それが落とされたのか。理由が全く分からない。
 持ち上げた頭を元の位置に戻して、この状況を作ったであろうアーチャーを見上げる。つむじのすぐ近くにコイツのつま先があるので、最初に感じた固い感触はこれだろう。
「起きたか。今日は貴様が朝食当番だと思ったが、私の勘違いだったかな」
「……すまん、寝過ごした」
「早くしろよ。そろそろ冬木の虎……いや、暴れ虎が爆誕するぞ」
「うわ、それはまずい。ただ、その前に、この状況を説明してはもらえないでしょうか、アーチャーさん?」
 腹の上のビニール袋を指さして、問う。
「芋だ」
「いも?」
「サツマイモだ」
「ああ、よく見たら確かに……って、そうじゃなくて! これがなにかじゃなくて、なんで俺の腹に落とされたかってことだよ!」
「なんでって、貴様が起きないからだろう」
「……ああ、そう……」
 それ以外の理由があるのか? みたいな顔をされて、それ以上の説明を求めるのが面倒になってきた。なにより、ここでアーチャーと遊んでいては、居間の状況がさらに悪化しかねない。下手すりゃ命も危ういかもしれない。
 さっさと朝食の準備に取りかからねば、と袋を手にすると、更なる衝撃が俺を襲った。
「なにこれ重っ!?」
 これを躊躇なく他人の腹に落とすアーチャーの、常識をこそ問いたい。いや、俺だからか。とにかく、腹筋を鍛えていて良かったと本気で思った。シックスパックは伊達じゃ無い。
 ずっしりとした重さに目を白黒させているあいだにアーチャーは土蔵を出ていく。そして、数歩歩いた辺りで振り向いて口を開いた。
「藤村大河からの差し入れだ。今日は焼き芋パーティーをするから準備をするように、とのお達しだ」
「……了解」
 その勅命は絶対だろう。ご機嫌取りのためにも。そして、アーチャーがわざわざこの重量の芋を土蔵まで持って来て、俺の腹に落下させた理由も、それでなんとなく分かった。

「ふっふー、この特大サツマイモは、私、藤村大河が確保しましたっ。イリヤちゃん、横取りなんてしたら、ひっどいんだからねー」
「タイガじゃあるまいし、レディはそんなはしたないこと、しないわ。それに、ヤキイモパーティー? なんて初めてだし。一体どういう社交界なの、シロウ?」
「はは、社交界なんて大層なもんじゃないよ。年中行事っていうのかな。ほら、夏にみんなで流しそうめんしただろ? そんな感じ」
 縁側に広げた新聞紙の上に、アルミホイルに包まれたサツマイモが並べられていく。
 作業をしているのは主に俺と藤ねえで、その作業を俺たちの傍で興味深そうに眺めているのは、藤ねえに耳慣れないパーティーへ招待されたイリヤだ。
 土曜日の午後、衛宮邸にいつものメンバーを集めてヤキイモパーティー開催と相成った。天気も良く、風もない。焼き芋をするにはぴったりの日和で、集合をかけられた面子はそれぞれの場所で各々の職務に勤しんでいる。
 庭では、箒を手にしたアーチャーとセイバーが、飛び火を考慮した距離を取って落ち葉の小山を作り、台所では、遠坂と桜、そしてライダーが軽めの昼食を作っている。
「シロウ、こちらの準備は出来ました」
「了解。こっちも準備オーケーだ」
 セイバーに頷き返し、アルミホイルを巻いた芋を携えて庭に降りる。掃き集められた落ち葉の脇に芋を置いてマッチを手にすると、後ろからついてきたイリヤが不思議そうに声を上げた。
「先に火をつけちゃうの?」
「ああ。これで熾火をつくって、その中で芋を焼くんだ」
 火を点けたマッチをくべると、乾燥した落ち葉はあっという間に燃えて、もうもうと煙が上がり出した。
「なんなのこれー! すっごい煙!」
 落ち葉が吐き出す白煙に驚いたイリヤが、きゃー! と両手を挙げて屋敷へと走っていく。その後ろ姿を苦笑で見送って、同じくイリヤの様子を微笑ましそうに眺めているセイバーへ声をかけた。
「ここから少し時間がかかるから、居間で待っててくれ。そろそろ昼食班の準備も終わる頃だろうし」
「分かりました。昼食を終えたら、火の番を変わります」
「頼んだ。アーチャーも、先に飯食って来いよ」
「ああ」
 しかし、俺の言葉に頷いたものの、セイバーが藤ねえとイリヤと共に居間に戻っても、アーチャーは火の傍を離れようとしなかった。
「?」
 空返事だったのか。不審に思いながらも、炎を燻らせ始めた落ち葉に芋を突っ込み、ストックされていた落ち葉を上から被せて蓋をする。途切れた煙は、少し経つとまた落ち葉の隙間から細く立ち上り始め、やがて幾筋もの白い線が重なり合うようにして、秋特有の高い空へゆるゆると消えて行く。
 パチパチと微かに爆ぜる焚き火の音を聞きながら、アーチャーに視線を送る。
 アーチャーは考えの量れない表情を浮かべながら、焚き火に視線を落としていた。やはり居間に移動する気は無いようで、無言のまま腕組みをしている。俺に火の番を任せるのが不安とか、そんな保護者じみた考えでここに残っているのではないことは分かりきっているので、そろそろ水を向けてやることにした。
「俺になにか用があったのか?」
 アーチャーはちらりとこちらを見、また焚き火に視線を落として口を開いた。
「貴様は、サツマイモの花を見たことがあるか?」
「いや、無いけど……」
 話の主旨が見えないが、大人しく続きを促す。
「サツマイモの花はな、短日植物なんだ。光周性と言って、日長の長短で起きる生物反応のことなんだが、サツマイモは連続した暗期が一定時間より長くなると花芽が形成される植物だ」
「アンキ?」
「暗い期間、で、暗期だ。簡単に言ってしまえば、暗い時期が長いと花が咲く植物なんだが――まあ、日本で花が咲くのは稀らしいから、サツマイモの花を見たことがない日本人は多いだろう」
「ふうん。それで?」
「それだけだ」
「――は?」
「焼き芋なんぞ久しぶりにやったから、そんな話を思い出しただけだ」
「…………」
 つまり、サツマイモの花のうんちくを垂れたかっただけですか……?
 予想外の肩透かしに呆気に取られる俺へ、
「そろそろ芋をひっくり返しておけよ」
 と指示をして、アーチャーは屋敷へと戻って行ってしまった。
 アーチャーのこんな発言自体は珍しくない。しかし、態々俺にこんな話をする時は、なにか含蓄のある話だったり、例え話だったりすることが多いのだが、さっきの話にはオチもなにもなかった。
 多少の引っかかりを覚えるものの、まあいいか、と深く考えるのを止めて作業に意識を向ける。
「暗い時期が長いと咲く花か。一体、どんな花なんだろうな」
 アーチャーに言われた通り、芋をひっくり返しながら独りごちる。純粋に花の特徴だけを教えられたので、花そのものに少し興味が出てきた。
 今度学校の図書室で、植物図鑑でも借りてみるか――ぼんやりと、そんなことを思いながら、火掻き棒で再び芋に落ち葉を被せていて、ふと、ある光景と共に一つの考えが頭の中に浮かんだ。
 昨晩の土蔵での修練の様子と、その結果。自分自身へ抱いた、どうしようもない焦り。
「――あれ?」
 アーチャーの話は、俺に向けられた言葉のようにも聞こえはしないか。暗中で結実するときを待つ花のように、いまは先が見えぬ暗闇の中にいようとも、いつか花開くときが来る、と言われたような――。
「……いや、いいや! 都合良く考え過ぎだろ俺! アイツに限ってそれは――――ある、かもなぁ……」
 徐々に弱々しくなる言葉と反比例して、アーチャーだしな、という思いが強くなる。分かり難いのが玉に瑕というか、味というか……。
 焚き火の熱と煙が当たって、顔が熱い。
 否、それだけが原因でないことは、分かっているけれど。
「シロウ」
 後ろからセイバーの声がした。きっと、昼飯を食い終わって火の番を交替しに来てくれたのだ。
 訳もなく蹲りたいのをぐっと堪えて、俺は、自分の顔を見たセイバーがするであろう反応への言い訳を頭の中でまとめながら、観念して後ろへ振り向いたのだった。

 

(了)